我が人生の前半と後半。

考えてみたら、自分の人生の前半と後半の落差の激しさに自ら驚く。

前半は悪さばかりしてた少年時代と一生物の恋をした高校時代と恋人との婚約と子供がお腹

に出来て私生活は幸せの絶頂期。

公の事では高卒で入庁した役所で幸いにも入庁2年目、卒配後直ぐの帳場で同郷のキャリア

との出逢い、キャリア官僚の思惑に先輩である同郷のキャリア官僚の勧めと推薦もあり本庁

への移動と当時、全職員の1%しか配属されない部署に卒配間もない自分は異例の移動。

しかし先輩諸氏の愛のある厳しい指導と元々のテストが得意(一夜漬け)で同期の中でも1

番の出世頭と順調にいった。

だけど、僕が移動になるきっかけを作ってくれた先輩で相勤をしていた方が僕が非番の日に

殉職するという悲しく淋しく心に穴が開く事件が起きた。

婚約者も同じ官舎に住み家族ぐるみの間だったから、暫くは悲しみのどん底生活。

そして次には僕の人生最大の悲劇が起きる。

クリスマス間近の12月16日に婚約者は僕へのクリスマスプレゼントを買いに出掛けた帰

り道で、お腹の子供と共に交通事故で亡くしてしまった・・・・・・・。

一度は仕事を辞めて故郷に帰ろうかとも思いましたが、婚約者の母親から諭されて復職しま

したが二人を守れなかった事で鬱病になり同僚には知られない様に治療しながら仕事を続け

ました。

大きな事件も何度か解決し、一番、大きかったのはオウム真理教事件。

1年間公判維持の為に家に帰る事が出来なかった。

そして、ある事件で僕は後輩の相勤とマルヒを追ってる最中、マルヒを発見し路地の行き止

まりまで追い詰めました。

しかし、マルヒは拳銃を所持したジャブ中男。

帳場からの指示は応援が行くまで待機という命令だったが、行き止まりの左右には民家があ

り、しゃぶ中男が左側の家に入ろうとしたので肩に向けて発砲し確保。

しかし僕は命令違反で監察官室送り。

だが、後輩の証言で何とかなり、それを機に昇進し念願の管理官に。


ここまでが僕の前半。

後半は祖父母と親父に、まんまと騙されて、念願の管理官になれ、理事官も視野に入ったの

に帰郷する事に・・・しかも退職金は全て祖父と親父がJAに作った借金返済で消えた。

そして在日韓国人経営と知らずに入社した民間会社で僕の実績に嫉妬した経営者の娘2人に

人とは思えないようなパワハラを受け、日本人の同僚からも裏切られ、また鬱病になり、更

に双極Ⅱ型障碍に。

その後も難病×2と狭心症による致死性心室細動で1時間の心肺停止で普通なら死んでるのに

奇跡的に何の障碍も残らず生還。

その後も病気で入退院を繰り返す生活。

働く事も出来なくなり年金生活者に・・・・・・。

そんな中、ママと出会い付き合いを続けて結婚し、秋田から福井という片道500kmの所

に居を移した。

そして難病の痛みと難病の手術後後遺障害に痛みに耐える日々でしたが、2つの大きな痛み

の内の1つを手術で無くす予定が術前検査で糖尿病が発覚し現在、入院中。

約2週間の入院予定だけど退院後1週間の期間を置いて後、再度入院し腰椎の手術をしま

す。でも、今回は一人じゃ無い。

ママもいるし、娘達、義妹夫婦、義母さんと心強い味方が沢山いる。

でも痛いのは僕一人だという事は変わりが無い。

だけど頑張ります。





幸せは私の中に、そしてあなたの中に。

徒然なる日々を書き綴りたい。病魔に襲われ今や再起不可能な身体になったけど心だけは何所にでも飛んでいける。

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